応募作品一般公開

私のお母さんは、介護士。8時半くらいから、2時くらいまで働いている。学校がある日はいつも、『いってらっしゃい』や、『おかえり』などと声を掛けてくれる。そんな時はなんだか心が和らいで、ほっとした気持ちになったり、頑張ろうって思える。でも、今日は違う。今日は夏休みで、私だけ家でお留守番。私は朝、お母さんと妹に、『いってらっしゃい』って言って、一人の時を過ごす。その時は、とっても寂しくて、楽しい気持ちになれない。楽しい事をしても、同じ気持ちのまま。そして、行ってから30分くらいたつと、メールで、ちゃんと留守番してねって送られてくる。その時は、なんだか学校がある日のように思える。お母さんは平日、5時半ごろに起きるそうだ。その話を聞くと、いつもすごいなぁと思う。ここでだから言う。私は、正直言うと甘えん坊だ。こんな私にも、優しくしてくれてありがとう。いつも私の事を気にかけてくれてありがとう。お母さん。

愛知県 小学生の部

僕の父は、長年、医者として医療に携わっています。幼かった頃、父の仕事を見学する機会がありました。父以外のお医者さん達は患者さんが座っていても立って話をするのに、父は唯一、中腰になって、患者さんの目を見て話をしていました。父の医療人としての信条が垣間見えた瞬間でした。
中学1年生の父の日に「紙カルテを書く時に使ってほしい」とプレゼントしたペンを、父は未だに使ってくれています。
そんな父は、50歳を機に、長年の夢であった僻地医療に挑戦し、診療所の院長となりました。50歳にして夢を叶えた父の姿を見て「何歳になっても、挑戦者精神は忘れてはならない」ということを感じました。
父は未だ、専門の循環器内科だけでなく、他の科の勉強を続けています。「生涯学習」という概念が浸透してきた昨今、父は正に生涯学習を実践していると思いました。医療人としての強い信条を持ち、夢を叶え、更に進もうとしている父は、僕の誇りです。

岐阜県 一般(高校生以上)の部

私が知っているお母さんは、いつも忙しそうにこちらに背中を向けていた。

保育士として定年まで働いていた母。当時は育休という制度自体が存在せず、産後8週で仕事復帰していた。

小さい頃は母が働くことが嫌だった。けれど成長するにつれ、保育士として誇りを持って楽しそうに働く母は、私の“お母さん”のロールモデルとなっていた。
経済的に不自由なく、行きたい大学に行って一人暮らしを経験できたのも、母のおかげだと感謝している。

昨年子どもが生まれ、私は一児の母となった。
仕事復帰を控え、働きながら子育てをする大変さを改めて感じている。

これから子どもを預ける保育園。そこにいる保育士さんにもそれぞれの家庭がある。

私のお母さんも、
誰かのお母さんの保育士さんも、
帰りに寄り道するスーパーのレジの誰かのお母さんも、

みんな誰かが誰かを支えるために、仕事も家事も育児も、毎日全力で頑張っている。


世の中の全ての働くお母さんへ、

ありがとう

三重県 一般(高校生以上)の部

新聞配達員さんへ
毎日朝早くから雨が雪が降ろうがまだ皆さんが夢の中やら寝ている中ま真っ暗闇の中の午前4時半位から配っていられる仕事ぶりには頭が下がります。私も年の制で早朝から起きているため玄関の音で気がついていそいそと手に取り新聞を読んでいる私がいます。雨や雪の時は濡れないように袋に入れてある気配りに思いやりにほっ懲りしています。お仕事だと固唾蹴れば一言で固唾気ますがいつもいつも毎日早朝からありがとう。ご苦労様。体に気を付けてお仕事頑張って下さい。
講読者より

愛知県 一般(高校生以上)の部

お父さんへ。
観光ホテルのボイラー技士兼 庭師 、お疲れ様でした。
趣味の時間がとり易いい仕事で、夏は魚釣りに、冬は狩猟に出ていましたね。
無口なお父さんは、一つだけ 教えてくれました。
米を残すな、はたらく農家に失礼だ。お前は米を作ってない。
働くことは はたを楽(らく)にする事だよ、と。
52歳で、魚釣りにでかけた先で、帰らぬ人となったお父さん。
何を言い残したかっただろう。生きる事とは、働く事とは何ぞや。27歳の私は毎日考えたよ。
好きな事を夢中で話しているお父さんの笑った眼、大げさな身振り。笑い声。
今、生花教室を主宰し、15年目。生徒さんとの出会いを 会話を  花いっぱいに囲まれ
楽しませて頂いてます。好きなことを仕事にしています。
子供も大きくなりました。見せてあげられず、抱っこさせられなくて ごめんね。
ありがとう。おつかれさま。

愛知県 一般(高校生以上)の部