応募作品一般公開

物心付いた頃から、母親はいつも働いていました。父が亡くなってから一人で私たち兄妹を育ててくれ、昼も夜も働き、テレビを観ながらでも野菜の下ごしらえや、繕い物、編み物など、いつも何かしら手を動かしていました。食事の支度や、お弁当を作るのも大変だと気付いたのは自分も親になってからでした。
花が好きで、庭仕事に精を出している姿をずっと見てきましたが、最近は年も取り思うように身体が動かなくはなってはきましたが、少しでも私たち子供や孫が喜ぶようにと畑で野菜を作ったりもしています。
私も母を見習いたい気持ちもありますが、なかなか思うように身体が動きません。それでも少しでも母の手助けができるように、ちょこちょこ顔を出し、細かな作業等手伝っています。自分も年を取るにつれ、大変な事も出てきて、今さらながら母親を尊敬するようになりました。
長い間、私たちの為にありがとう。
できない事があったら手伝うから、長生きしてね。

愛知県 一般(高校生以上)の部

重度の障がい者の介護施設で、非常勤で働いています。重度の知的障害や、内臓の障がいのために自身で食事や、排泄ができない人がいます。障がいを持って生まれてきても、人には生きる権利があり、親には育てる義務があります。しかし、親の愛情がどれだけ豊でも、それだけでは育てられません。組織的な介護がなければ、生を全うすることはできません。そこで働く正社員は、決して周りに愚痴を言うことはなく、障がい者にわからなくても話しかけ、来る日も来る日も、ひたすら、食事や排せつの世話をしています。その社員にとっては、障がい者からの無意識の笑顔、親からの感謝の気持ちを、何よりも心の支えにしています。地球から戦争がなくなることはないという識者もいます。従って莫大な国防費が必要なことも理解できます。でもその予算が、医学の発展や介護のため使えたら、幸せに暮らせる人がどれだけ増えるかといことについても、思いを馳せてほしいです。

三重県 一般(高校生以上)の部

今年80歳を迎える父へ
あなたが46歳のとき、私は誕生しました。兄姉と10歳以上年が離れて生まれた私は、あなたから大層可愛がられたことを覚えています。でも、私はあなたが嫌いでした。造園業を営み、毎日汗臭くて黒く汚い手で帰宅しては頭を撫でられるのが嫌だったし、今日学校どうだった?と変わりない日常を聞かれることもうんざりでした。手に職をつけるべきだと言われるがまま看護師の資格をとり、親のレールに敷かれた人生を歩んでいるようで、つまらなく思うこともありました。
私は現在、結婚して2人の子がいます。親になった今、私はあなたに感謝しています。保健師という天職につけたことも、あなたの薦めがあったからこそ。選択肢を与えてくれ、それを自分で選択していたことに今なら気が付けます。寝る前に子どもに、今日はどんな日だった?と尋ねるのも日課です。あなたから貰った優しさを今度は私が子どもにあげたいです。いつもありがとう

愛知県 一般(高校生以上)の部

宮崎のおばあちゃんへ
いつからかな。私の事を忘れてしまったのは。おばあちゃんに最後に会ったのは小学校の低学年の頃だったかな。家に来て私の好きなもの沢山持ってきてくれて、私の喜ぶ顔が見たかったからなんて言ってたよね。家から遠距離だったから中々会いに行けなくて、でもたくさん電話をして私が看護師になりたいって夢いつも応援してくれてたよね。でも次に会った時はおばあちゃんが倒れたあとだったね。うまく話すことも認識することも出来ないほどで…。今となってはもっとたくさん話せばよかった、もっとたくさん会いに行けばよかったって今更だけど後悔ばかりが残ってる。でも私あの日のこと忘れないよ。施設で私の顔を見て何かを思い出したような顔をして少し笑ってくれたこと。心の底から涙が出るほど嬉しかった。勘違いでも良い。思い出してくれたのかな。おばあちゃんと約束した夢必ず叶えるからね。それが私にできる精一杯の『ありがとう』。

愛知県 一般(高校生以上)の部

念願の小学校教員になり、あっという間に12年目になった。大変な仕事だが、子どもたちのかわいさや、仕事に対する誇りは、毎年増えていると感じる。

そんな私が、教師を辞めようと思ったことが1度だけあった。まだ教員2年目の春。理想と実力不足の間でもがき苦しみ、3階の教室へ向かう足が踊り場で止まってしまう程だった。

しかし、その年は運命の年となる。私が『師匠』と呼ぶ教師に出会ったのだ。師匠は『子どもと自分が元気で笑顔でいるために』と、楽しい授業を続けている人だ。2年間師匠の側で学び、師匠の元を離れた教師4年目から、私も『楽しい授業』をし続けることができていると思う。

師匠は今、小学校を退職し、子ども園で楽しい授業を続けている。いくつになっても、目の前の子どもと楽しむ姿。憧れだ。子どもと楽しく過ごすことを教えてくれた師匠のおかげで、私は毎日とても幸せで楽しい。師匠、ありがとう。これからも楽しく働き続けます。

三重県 一般(高校生以上)の部

いつもちょっかいを掛けてきて、勝手に私の服を着て、私が大事に残して置いたお菓子も食べるけど、大好きな人が私にはいます。
私と姉は2歳違いで小学校から高校まで今までずっと一緒。いつも喧嘩ばかりだけど気づいたら仲直りしてて親に話せないこともなんでも聞いてくれる私の相棒。そんな姉も今年からもう大学生、家を出て大学の寮に入ることになった。姉が家にいる時は毎日うるさいし、受験生だからといつも優先されるからムカついて、早く大学に行けばいいのにと思ってた。なのに今は静かな部屋が寂しいし、うざかった小言すらも恋しい。戻ってきて。本当はずっとそう言いたかった、でも4月に姉の入学式に行って姉が新しい舞台で頑張ろうとしているのを見た時、私が本当に言いたかった言葉に気づいた。それは「今まで本当にありがと」この一言だ。本当はまだ側にいて欲しいし、もう寂しくないかと言うと嘘になるけどこれからはお互い違う舞台で頑張ろう。

愛知県 一般(高校生以上)の部

今年で私のおじいちゃんは82歳、おばあちゃんは77歳になる。私が遊びに行くと、おばあちゃんは沢山の料理を作って、おじいちゃんは部屋を掃除をして待っていてくれる。私も家の手伝いをしたことがあるが、少し料理や掃除をするだけでかなり疲れる。だから、歳をとっているおじいちゃんとおばあちゃんにはどれだけ大変なことだろうと思う。それなのに、疲れた顔一つ見せず、いつも笑顔で迎え入れてくれる。
それだけではない。おじいちゃんとおばあちゃんは、私の学費や習い事代を払ってくれている。「おじいちゃんとおばあちゃんは、孫の喜ぶ顔が見れたらそれでいいの」と言い、自分達は少ないお金でやりくりをしている。
「まあちゃんが将来どんな子になってるか見たいから長生きしたい」と私に期待してくれている。
いつもありがとう。いつか私が働いたら、おじいちゃんとおばあちゃんに必ず恩返しをする。だから絶対長生きしてね。大好きだよ。

三重県 中学生の部

「すぐに救急車!」お母さんが救急車で運ばれ、お父さんが病院まで行った。そんな非日常的な事が急に起こり、もう一年半前のことだが今でもはっきり覚えている。それから何ヶ月もの間、お母さんは入院した。当時はコロナ禍で会う事も、最初は話す事すら出来なかった。
理学療法士であるお父さんはお母さんの様子は全然聞けないけど、最初病院で病状の画像などを見てお母さんの様子をわかっていたらしくずっと変だった。
努力の末にお母さんが退院した。お父さんの最初の判断が早かったので思っていたより状態はよく、不自由ながらにも仕事に復帰するまでになった。
僕は2人に言いたい。お父さん、毎日患者さんと帰ってから家でお母さんにもリハビリをして、たくさんの患者さんもお母さんも元気に動けるようにしてくれて本当にありがとう。お母さん、身体が動かないなりに仕事に復帰して、いつも頑張って働いてくれてありがとう。僕も頑張るよ。

岐阜県 中学生の部

「よっかいち?ああ、あの公害、四日市ぜんそくって習ったことある!」
県外の人にどこから来たのか聞かれて答えた時に返ってくるお決まりの反応。これを笑って流すことができるようになったのは、意外にもここ最近である。今日はこのことで父に感謝を伝えたい。
 私の父は塩浜のコンビナートで働いている。小さい頃から、石油と関連した仕事をしているとは知ってはいたけど、それがどう人の役に立っているのか、ずっとよくわからないままだった。大学生になってようやく、石油は生活していく上で必要になる製品の原料であり、父はその石油の輸入を管理しているとわかった。現在は、発展過程での大気汚染等の公害問題を乗り越え、環境への配慮を最優先にした取り組みをおこなっている。
 お父さん、四日市のきれいな海や空気を守りつつ、生活インフラを支えてくれてありがとう。お父さんのおかげで、「四日市出身です。」って胸を張って言えるようになったよ。

三重県 一般(高校生以上)の部

「きれいな花を売るには、こんなヒミツがあったんだなあ。」
わたしは夏休みに三日間、花屋さんの見学へ行きました。花屋さんがどんな仕事をしているのか知りたかったからです。ショーケースの花はとてもきれいですが、お客さんに買ってもらうために工夫していることを知りました。お客さんによろこんでもらえる花を仕入れたり、水あげという作業をしたりしています。くきを切ったり葉をとったりします。かたいくきを切るのはむずかしく、バラなどをもつとトゲがささることもあります。暑い中の作業はつかれました。お仕事だけでも大へんな中、色いろな話をしてくださり、フラワーアレンジメント作りも体けんしました。はじめて作ってみて、とても楽しかったです。家でも五回作りました。
「お花屋さん、いつもきれいな花を売って、みんなをいい気分にしてくれてありがとう。」
わたしも、すてきな花束やアレンジメントが作れるやさしいお花屋さんになりたいです。

岐阜県 小学生の部