ぼくの大好きなパパ
ぼくのパパは今年の7月7日にガンで亡くなりました。48さいでした。
2年間病気とたたかってさいごはびょういんではなく、かぞくといっしょに大すきなおうちですごしました。
それまでパパはお仕事をしながらちりょうをつづけていました。
パパのお仕事はトラックのうんてんしゅさんです。さいごの半年は入院ばかりでお仕事にはあんまり行けなかったけどパパはお仕事をがんばるために6月15日に免許の更新もかぞく4人で行きました。
パパは大きなトラックにのっていてすごくかっこよかったです。
病気になってからはたくさんの病院の先生におせわになりました。先生たちがいたからパパは余命よりも長く生きれました。
ぼくたちのためにちりょうをしながらがんばって働いてくれていたパパ、
パパの病気を治そうとしてくれた先生、
ぼくたちかぞくのためにお仕事や家のことをがんばってくれていたママ、
ぼくはみんなにありがとうと伝えたいです。
三重県 小学生の部
私たちが安心して毎日を過ごせるのは、さまざまな場所で一生懸命に働く人たちのおかげです。朝早くから夜遅くまで、見えないところで支えてくれる人々がいるからこそ、食べ物が届き、電気や水が使え、交通機関が動き、病気になれば助けてもらえます。一つひとつの仕事がつながり、私たちの生活を形づくっています。時に大変なことや苦労もある中で、自分の役割を果たしてくれるすべての方に、心からありがとうを伝えたいです。働く人の努力と支えがあるからこそ、私たちは今日も笑顔で暮らせます。
愛知県 一般(高校生以上)の部
お母さん
私達の為に色んな事をしてくれてありがとう。
毎日遠い職場まで車と電車とバスの三刀流で通勤。帰宅後は夕食を作ってくれたり、残ってる家事を行ってくれてありがとう。
お母さんの凄いところは、会社から退勤して疲れてるのに家事を嫌な顔せずにやってくれる所です。
だからこそ、面倒臭かったり、やりたくない時は言ってね。何時も頑張ってくれてありがとう。大好きだよ
愛知県 中学生の部
一生懸命働いて、家族を養ってくれる父。美味しいお菓子を作って、私を励ましてくれる祖父母。落ち込んでいる時に寄り添ってくださった学校の先生。私が「ありがとう」を伝えたい人はたくさんいますが、一番に伝えたいのは私の母です。母は働いています。その上、家事や習い事への送り迎えなどで毎日忙しいです。休日は仕事が休みですが、家で家族のために「家事」という名の仕事をしています。そんな忙しい中でも、母は私の話を聞き、精神面でも支えてくれています。
私が大事な試験や学校のテストがある日の朝、母は「気を送る」と言って私の額に手を当て、肩をぽんとたたき、「頑張ってね」と言って送り出してくれます。最初はこんなことに意味があるのかと思っていましたが、今は私にとって最強のお守りです。家族のために外でも家でも働き、「私の一番の味方」でいてくれる母に心から「ありがとう」と伝えたいです。いつもありがとう。
三重県 中学生の部
おじいちゃん、ありがとう。
いつも笑顔でみんなに優しいおじいちゃん。
15年前おじいちゃんは野球のグラウンドで亡くなりました。
大好きな野球を最後まで楽しんでいたね。プロ野球を引退してから息子も野球をやって孫にも野球を教えてくれた、野球一家でした。
学校が終わると、家に来てくれて練習に付き合ってくれたり、生きていく上で大切なことをたくさん教えてくれました。
「エラーは誰でもする。してしまったあとの振る舞いが大事」と教えてくれたのはおじいちゃんでした。
今でもその言葉は心にあり、社会人になった今、なにかミスをしてしまったとき思い出します。不貞腐れるのは簡単。ですがそれでは社会では通用しない。次の行動、案を出していって自分で打開していく。そのような考え方ができているのも、あの時のおじいちゃんの言葉のおかげだと思っています。
いつも心にいるよ、ありがとう
愛知県 一般(高校生以上)の部
お母さんへ
僕のお母さんは外でも家でも働いています。
休日スポ少で出かけるときにおにぎりを朝早く作ってくれます。
他にもお金の仕分けなどしていてとても大変そうです。
平日朝9時から家を出て帰って来るのは5時で
帰ってきてとても疲れていて、次の朝体調を崩す
ときもあるけど僕の前ではいつも笑ってくれます
。家で僕が体調を崩したときは付きっきりで看病
してくれてとても優しいお母さんです。
いつまでも体調を大事にしてください。
愛知県 小学生の部
私がおつかいに行っておかいけいをすませたら、定員さんが聞いてきた。「1人で大丈夫?」私はこう言った。「大丈夫です。ご迷惑をおかけしてごめんなさい」そしたら定員さんが、「そっか、こちらこそごめんね」と、言ってくれた。なぜか心がキレイになった気がした。「ありがとうございます」と言いたかったけど、なぜか、言わない方がいい気がした。家に帰っても、何日か過ぎても、定員さんのことが気になってしかたがない。あの時の定員さんにあらためて言いたい。「ありがとう」と。ちがう日に、ちがう定員さんがいて、「ありがとう」と小声で言った。外に出ると空が光って見えた。家に帰って、決意した。「定員さんみたいに、だれかによろこんでもらえるような人になりたい」と。はずかしいからいつも言えないけれど、いつかみんなに、「ありがとう」と胸をはって言える日を待っている。
愛知県 小学生の部
15歳の卒業式、保護者席に置かれた感謝の手紙はそのまま持ち帰った。
母子家庭で3人兄弟。毎日仕事に家事にと疲れている母に来てほしいとは言わなかった。
「いつも美味しいご飯をありがとう。部活動で汚れた服をきれいに洗ってくれてありがとう。」そんな内容だったと思う。改めて渡すにはどこか気恥ずかしく、ずっと引き出しに眠ったままだ。
今年の春、体調が悪いと言う母を無理やり病院に連れて行くと、ステージ4のがんと診断された。すぐに手術と入院が決まり、連日の検査で送迎や付き添い、入院の準備に追われる中、母はふと「あなたたちになにもしてあげられない自分が情けない」と泣き崩れた。その背中は、あの時よりずっと小さく見えた。
「もう充分がんばったから、胸張って生きろよ。あなたの息子に産まれたこと、一度も後悔したことないから」
ちゃんと伝えよう。今度は私が支える番だ。
愛知県 一般(高校生以上)の部
私はくも膜下出血で倒れ脳外科の先生に手術をしていただき1ヶ月入院し後遺症もなく以前と変わらず仕事に行けて元気に毎日を過ごす事ができています。
1ヶ月の入院中、今まで当たり前にできていた事ができなくなりたくさんの看護師さんにお世話になり、もちろん手術して下さり命を繋いで下さった先生には感謝しかありません。
痛くて何度もナースコールしても嫌な顔もしないでくれたり身体をふいてくれたりホント大変なお仕事だと思います。
患者さんに寄り添ってくれていつも笑顔で接してくれて感謝です。
私が今こうして元気でいられるのは、手術して下さった先生、お世話して下さった看護師さん達、食事の用意や掃除をしてくれたおばちゃん、リハビリの先生などたくさんの方のおかげです。日赤で良かった。本当にありがとうございました!
繋いでくれた命、大切にこれからも元気に笑顔で過ごしていきます。
愛知県 一般(高校生以上)の部
両親へ
いつもありがとう。自分達も忙しい中、支えてくれてありがとう。
最近は昔みたいに家族揃って旅行には行けなくなってしまったけど、今は夫婦2人っきりの旅行を楽しんでください。そして、旅先の話を沢山聞かせてください。
いつかまた2人を旅行に連れて行ってあげたいです。旅行が難しかったら一緒にご飯を食べに行こうね。
まだまだ迷惑をかけてしまうと思うけど、これからもよろしくお願いします。
最後に本当にありがとう。
愛知県 一般(高校生以上)の部