応募作品一般公開

実家は自営で衣料品店を営んでいました。定休日は月に2回。父は配達もしていてその間は母が店番して合間に家事をして兄弟3人を育ててくれました。私は小さい頃から父母が働く姿を家で見てきました。働くことは生きることと思と父母の姿を見て覚えました。
歳をとり定休日も増やし休みの日に二人で出掛けるのを楽しみしていたようです。父が病を患っても店を休業するのを嫌がったので母が父の看病をしながら店を続けました。そして父が亡くなり廃業しました。
父のいない生活は張り合いがなく時々父が早く迎えに来てくれないかと涙ながらに言う事も。身体も不自由になり病院の付き添いに私が仕事を休んで行くと、すまないとしきりに詫びるのです。
今まで一生懸命に働いて育ててくれた母。会社で働く以外にもあなたのそばにいる事は私の大事は仕事です。お父さんの元へ早く行きたいだろうけど少しでも長くこの仕事を続けさせてね。お母さんありがとう。

愛知県 一般(高校生以上)の部

いつもなんてことないみたいな顔して、娘たちや私のことを当たり前に気にかけてくれる。そんな素敵な旦那さんになるなんて、20年前は全く想像できなかったよって言ったら、きっと笑って「俺もそう思う」って言うんだろうね。
あなたがいると家族みんなが優しくなれる。そんな家庭をあなたが中心になってつくってくれた。反抗期でも、更年期でも、イヤイヤ期でも、その笑顔が家族の中心にあるから、私たちは毎日幸せだよ。
これからしばらく忙しくなる予定のあなたを、少しでも支えられるように、毎日笑顔でいってらっしゃいって送り出せるようがんばるよ。
思ってるだけじゃだめだね、感謝はね、思った時に伝えないとね!
あなたとすごす毎日にありがとう。これからもよろしくね。

愛知県 一般(高校生以上)の部

「社会人と学生の違いは何だ。」
新入社員だった頃、研修態度が不真面目だった私に、講師を務めていた先輩が唐突に問いかけてきた。同期の視線を一身に浴びながら、私はしどろもどろに「社会人になることへの責任感だと思います。」と答えたが、即座に「違う!」と一蹴されてしまった。
「社会人が学ぶのは成果を出すための手段だ。その対価として仕事もしていない新入社員に給料が出ている。研修に集中しろ!」
あれから年月が経ち、今では人前で怒る人はほとんどいなくなった。叱るよりも寄り添う指導が主流になったからだ。これは確かに良い変化だ。けれど、あのときの一喝が、私の社会人としての第一歩になったことは、揺るぎない事実でもある。
今では私が新入社員を迎える側になった。
「ここは厳しくするべきか、優しくするべきか。」
そんな自問自答に込めたのは、かつての先輩のように、誰かの背筋を伸ばす言葉を投げかけられる存在になりたいという思いだ。

愛知県 一般(高校生以上)の部

私の妹はシングルマザーで2人の子供を働きながら育てていました。まだ薄暗い早朝からのスーパーでの品出しなどをしていました。亡くなる直前まで続けていたそうです。末っ子なのに弱音を吐くことが嫌いでいつも一人で悩みを抱えて苦しんでいたようです。長い間離れて暮らしていてあまり接点がなかったのですがお葬式の時まるで生きているような姿を見て高校生の時と変わらないような姿を見て心が潰れる程悲しくなりました。年老いた両親は自分が代わりに死にたかったと何度も繰り返し歩くのもままならず車椅子に乗っていて一気に老けてしまいました。スーパーへ行く度段ボールから品出しをしているパートさんの姿を見るとふと妹の姿が心に浮かんできます。毎朝朝五時に出勤していた妹は子供の頃から朝が苦手でいつも寝坊していました。剣道部の朝練もよく遅刻していましたでも仕事は一度も遅刻をしたことがないそうです。どうか天国では安心して休んでください

愛知県 一般(高校生以上)の部

結婚して退職するまでの十数年、塾講師として何人もの生徒・保護者の方と接してきた。そして母となり、今度は保護者として様々な「先生」方と接することとなった。2人でいる時間が長いこともありいつも叱ってばかりだった私は、ある日宿題をやりたくない!と言い出した娘と大喧嘩。そんな時、話を聞いてくれたのはある習い事のおばあちゃん先生だった。「親なんだもん、そりゃ子どものことで苦労するよ。お母さん自身が頑張りすぎてるんだよ、もっと楽したらいいんだよ、預かってる間に1人でお茶でもしといで!」そう、言ってもらった。ああそうか、もっと肩の力を抜けばいいのか…とハッとした。と同時に、私は自分が「先生」だった頃、保護者の方にもこうやって寄り添えてたっけ?と自分の未熟さを今更ながらに思い知った。
いつもおおらかに、ドンと構えて娘を見守ってくれるおばあちゃん先生、ありがとうございます!私もそんな働く人に、なりたいです。

三重県 一般(高校生以上)の部

2月生まれの僕は、同級生の中でも動作が遅く、幼稚園では急かされたり励まされたりするばかりで、褒められたことがありませんでした。だから、小学校へ行ったら叱られてばかりだろうと、とても不安でした。
入学後、案の定、僕は漢字ドリルも工作も、給食を食べるのさえ、いつもビリでした。注意されることを覚悟していたけれど、担任のNY先生は「丁寧にできたね」「じっくり考えられたね」と、いつも前向きに声を掛けてくださいました。そしてたまに速くできると、「頑張ったね!スゴイ!」と褒めてくださいました。だから僕は小学校が大好きになりました。
あれから5年、僕は最高学年になり、学級委員を任されるまでになりました。もし、最初の担任がNY先生でなかったら、こんなに楽しい学校生活を送ることはできなかっただろうと思います。
NY先生に感謝を伝えたいのですが、退職されてしまい叶わないので、このメッセージが届いたらいいなと思います。

愛知県 小学生の部

この夏、家族で大阪・関西万博を楽しんだ。そこで立ち寄ったパビリオンの一つが『国際赤十字・赤新月運動館』だった。赤十字がどのような活動を行なっているのか、あまり理解できていなかったため、映像を観て学ぶことができた。
災害や戦争などで傷付いた人々を懸命に救護する人、誰かのために何かできないかと考え行動にうつす人の姿に胸が熱くなり、気付いたら涙が溢れていた。
赤十字の方の温かさに触れた人々には優しさが届き、救われた人がさらに人を救うことにつながることと思う。
赤十字で働く人のように、人が人を思いやる優しさを世界中の人々が持つことができたら、平和な世界が訪れることだろう。
私は、常に自分の存在とは何か、生きていることの意味を考えているだけで、何をすべきかわからずに悶々とした日々を過ごしていた。
自分も誰かのためにできることをしよう、少し背中を押してもらえたような気がした。

三重県 一般(高校生以上)の部

私には大好きな場所があります。それは東京ディズニーリゾートです。嫌な事や辛い事があっても、ここに行けば幸せな気持ちになることが出来る場所です。綺麗な景色、楽しいアトラクションやショーなどだけではなく、ディズニーリゾートで働くキャストの方のおかげでそれらの体験がより良い思い出になっています。
キャストの方は、いつも笑顔で暖かく私達ゲストを受け入れてくれます。小学生の頃、毎年、誕生日は東京ディズニーリゾートに行きました。バースデーステッカーに気がついたキャストの方々が「ハッピーバースデー!楽しんできてくださいね。」と笑顔で声をかけてくれました。家族以外の大勢の方に誕生日を祝ってもらうという経験のおかげで特別な日がさらに最高の思い出になりました。
私もいつか人を笑顔にできるような人になりたいです。

三重県 一般(高校生以上)の部

働く人いつも朝昼晩毎日ありがとうございます
お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんいつもありがとう。
パパは毎日朝昼仕事をしたりたまには出張に行く時もあって忙しいけど、
毎日ご飯を作ってくれたり買ってきてくれたり
家事も毎日やってくれてありがとう。
おばあちゃんはパパが出張の時は毎日家に来てご飯を作ったり買ったり家事をしてくれてありがとう。引っ越す前は家事いつもしてくれて
お世話になりました。
おじいちゃんも、2日に一回仕事に行ったり、
ご飯を作ったり買ったりしてくれてありがとう
引っ越す前はいつも朝、はるとおじいちゃんで2人の時はいつも支えてくれたね
ありがとう。
野球の募集団さんもいつもボランティアで来てくれて支えてくれました。ありがとうございます。
最後にコーチの方も仕事があるのに、
土曜日日曜日毎日きて教えてくれたりたまには
熱く指導してくださりありがとうございます
改めて働く大人の方ありがとうございます。

愛知県 小学生の部

勤労は国民の義務だが、働く理由は様々で働くことを決めるのは自分の意思である。
そんな中、私は父を尊敬している。
自身が働く側になって父のすごさを知った。
姉と私が小学校に上がると父はメール便のバイトを始めた。当時の私は父が仕事を増やした意味がわからなかったが、今ならわかる。就学してお金が必要になるからだ。父は、朝5時に家を出てバイト先に向かう。朝一緒にいた父がいないのを当時は寂しく思った。8時から自営業であるクリーニングの仕事をしつつ、メールを配る。19時に店を閉めるが配達やバイト先に行く為、帰宅は22時だった。更に消防団にも所属していた父は忙しかっただろう。自営業だけでも大変なのに、家族を養う為に副業を決め、この働き方を22年続けた父に敬服する。アイロンがけする父の後ろ姿が好きだった。帰ると必ず笑顔でおかえりと迎えてくれ嬉しかった。
家族の為に頑張っていた父に感謝しかない。私の尊敬する人だ。

岐阜県 一般(高校生以上)の部