応募作品一般公開

毎日毎日、イヤイヤながらも仕事を続けている自分にありがとう!!

岐阜県 一般(高校生以上)の部

おばあちゃんいつも美味しい野菜をありがとう。
今年で79歳になった私の祖母。
外仕事で働いて暑い日も寒い日も毎日ご苦労様。
休みの日には、自宅の畑で野菜を育てていつもおばあちゃんの畑は雑草もなく綺麗だよね。
今は離れて暮らしているのでたまにしか会いに行けないけれど毎回帰る時に美味しい野菜を持たせてくれるのがとても嬉しいです。
私の子供もそのおかげでおばあちゃんの作る野菜おいしいねっていつも食べてくれるよ。


これからは自分の身体を優先して無理せず野菜作りを楽しんでね。
これからも元気でいてね私の大切なおばあちゃん。

愛知県 一般(高校生以上)の部

大切なあなたへ

我が家に生まれてきてくれてありがとう
待ち望んだあなた
私たちのもとにやってきてくれたあなたは私たちにとってかけがえのない宝物
ときには予想もつかないことをして周りを笑顔にするあなたが大好きだよ

私たちのもとに生まれてきてくれてありがとう

愛知県 一般(高校生以上)の部

私はリラクゼーションセラピストをしている。
毎日色々な年代の様々な職業の方が訪れる。疲れている箇所も疲労度も皆それぞれ。
疲れや凝りを取り、気持ちを安め、また仕事に戻っていく。
ストレスや悩みを話してくれる方もいる。やり甲斐や楽しみ、喜びを共有してくれる方も。
社会は一人ひとりの頑張りで成り立っている、一見自分とは関係ないような人々の日々の努力と疲労に支えられている、と実感する。
ITやAIの進化が目覚ましいが、人の力というものの尊さは、何ものにもかえがたい。

お帰りになる際、来た時よりもずっと表情や声が明るく穏やか。
「ありがとう、楽になったわ。」、その言葉に私が心癒やされ、また頑張ろう、となる。

働く全ての方々に、ありがとう。

三重県 一般(高校生以上)の部

二年前の夏、宅配便の配達員さんが留守中に荷物を届けてくれました。「家には誰もいなかったので、大きい箱の後ろに置きました。」というメッセージが添えられており、こんな暑い日にも気配りをしながら配達してくれていることに対して、私たちももっと感謝の気持ちを持つべきだと思いました。
 我が家は荷物の配達が多く、週に二、三回程度は同じ配達員さんが来てくれます。私が一人で家にいる時には、満面の笑顔で荷物を渡してくれます。その配達員さんは近所の家にも来ていて、遅い時間まで配達していることを知りました。きっと疲れているのに、誰かのために頑張っている配達員さんは立派です。
 台風の強い風雨の時も、本当に暑い日も、雪の降るような寒い日も、私たちの生活を支えてくれている人たちがいることに「ありがとう」という気持ちを持つことが大切だと気づきました。

三重県 一般(高校生以上)の部

地球さんへ。いつもありがとう!
生かしてくれてありがとう。
1997年8月17日、3251gで僕は産まれました。今年で26歳になりました。これまで小学校・中学校・高校・大学・社会人と歩んで来ましたが、僕の周りには、素晴らしい方々がたくさんいます。両親はここまで温かく見守り育ててくれ、祖父母からは優しさを、昔飼っていたわんちゃんからは愛する事の素晴らしさを、友人からは助け合う大切さを、同僚からは切磋琢磨する楽しさを、上司からは働く事の楽しさを、よく行く飲食店のお姉さんには笑顔の大切さを。いっぱい教えて頂き、これからも学び続けていきます。
それもこれも、全て地球が存在してくれているからです!空も海も川も動物も虫も人も全てにありがとう。
戦争や自然災害など、問題が山積みですが、それもこれも全て試練です。地球上の皆で考え、耐えぬき、お互いが全てに関して、ありがとうの気持ちを持つ事が大切。
地球よ。ありがとう

愛知県 一般(高校生以上)の部

アルバイト先で一緒に働いている浜中さんは、とてもいい人ですが、時には厳しく注意してくれる時もあります。浜中さんは元々は警察官をしていて、とても体が大きかったそうです。今はもうけっこう年を取っていますが、まだまだ元気です。
 最初は怖いイメージがあったけど、実際に話してみたら、話がうまく、いじられ役にもなってくれます。怖いというよりはおもしろい人でした。
 体調が悪そうな人がいると、すぐに気づいて助けてくれたり、誕生日とかに「はい、ワンコイン」と言って、五百円くれたりします。私は、自転車でアルバイトに行っていますが、雨の日には車で送ってくれたりもします。
いろんなことに気がついて、おもしろい浜中さんには本当に感謝しています。これからも健康で長生きしてほしいと願っています。

三重県 一般(高校生以上)の部

僕は、小学1年から地元の野球チームに入団し、5・6年の人に付いて頑張っていた。同級生や仲間が入団せず、2年の秋頃には廃部は決まり、新しいチーム探しが始まった。隣の市のチームに入団を決めて、父と監督に言ったら、監督は
「友輔を最後まで教えたい」
と言ってくれ、新しいチームでコーチとして指導してくれた。僕が5年になるとコーチから監督となり、また「監督」と呼べた。何回も怒られたり、ユニフォームを引っ張って怒られたこともあったけど、絶対泣かなかった。家に帰って泣いたり、母に苛々をぶつけたこともあった。6年になると僕はキャプテンとなり、ろうきん杯県大会出場という監督との夢が叶った。試合後嬉しくて泣いていた僕に監督は何も言わずに背中ををポンと叩いてくれた。
「監督、僕は今硬式野球でもキャプテンとなり、頑張ってます。いつも野球の事、聞いてもらいありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。」

三重県 中学生の部

僕はもう高校生だけど、いつも家族に助けられている。定時制の高校に通っているから、夜の九時半頃に家に着く。帰ると、食卓にはいつも僕のご飯が用意されている。僕が学校に行っている間、母が料理を作ってくれ、洗濯や家の掃除までしてくれているのだ。
 また、学校で失敗してしまい、落ち込んで帰ると、父が「次に頑張ればいいじゃん」と慰めてくれた。とても心強かった。アルバイトの失敗で悩んでいたことを妹に相談した時は、「失敗は誰にでもあるから気にしない」と言われ、少し自分が情けないと思ってしまったけど、それでも、そう言われて心からすっきりして嬉しくなった。
 僕は、いつも家族に助けられ、家族のおかげで元気を回復する。今まで本当にありがとう。まだまだお世話になるだろうし、迷惑をかけるかもしれないけれど、これからもよろしくお願いします。

三重県 一般(高校生以上)の部

お父さんへ
長年家族を支えてくれてありがとう。
もうすぐ還暦ですね。
まだまだ半人前でお父さんの背中にはなかなか追いつけませんが、今度は私がお父さんをしっかり支えられる存在になれるように頑張ります。
これからもよろしくお願いします。

三重県 一般(高校生以上)の部