応募作品一般公開

敬老の日のお祝いを初めていただきました。ここまで生きていられると思えない日々もあり、そんな時は先生や大勢の人にお世話になり、感謝しかありませんでした。 生まれた時、いやその前から、幼稚園、小中高校、職場等での回りには先生が数えられないほどです。日々の暮らしの中で、ささいなことを会話して教えもらえれば私には先生です。学べることが沢山あります。 今まで何人の先生に、これからも何人の先生にお会いでき、ありがとうございますの言葉と感謝の気持ちを伝えたいと思っています。 そしてこれからの後期高齢者としての日々を明るく過ごしていきたいです。

愛知県 一般(高校生以上)の部

私の父は理容師として65年間働き、母と共に兄と私を養ってくれた。父は技術も確かで長年通って下さるお客様も沢山いた。
80歳を迎えた2年前の春に難病になりハサミを持てなくなり、秋に天国へ旅立った。
病床から「仕事に戻りたい」と言っていた父の気持ちを思うとやるせない気持ちでいっぱいになった。
数ヶ月後、父の荷物を整理していたら切手のスクラップブックと一冊のノートが出てきた。中学卒業後から働き始め、ささやかな楽しみとして集め丁寧に収納された記念切手。ノートには56年前開店した初日の気持ちが綴られていた。
贅沢をしないで毎日コツコツ積み重ねてきた父の姿から「誠実」「努力」「謙虚」と言う心の宝物を貰った気がする。後を継いだ兄のお店には父が築き上げた信頼で常連さんが来店している。父は沢山の宝物を築いてくれた。
切手のスクラップブックには余白がまだある。これから先の分は私が後を継ごうと思う。ありがとうお父さん。

愛知県 一般(高校生以上)の部

今年の8月末、祖母が多臓器不全で亡くなりました。95歳まで長生きをしてくれて、私の子供達も可愛がってもらいました。女手一つで母達3人の子供を育ててきて、色んな意味で強く、個性的な祖母でした。今でも亡くなったという実感が湧かないのが正直な気持ちです。そんな祖母が亡くなった当日、病院で祖母の体を拭かせてもらったり、髪を洗ったり、お化粧をさせてもらう事ができました。病院で働く先生や看護師さんにはいつも優しく対応して頂き、祖母も幸せだったと思います。医療従事者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。新型コロナウイルスが流行してから特に強く感じます。私自身もちょうどお盆に急性虫垂炎になり、先生や看護師さんにお世話になりました。だからこそ実際に皆さんが医療現場で必死に働いている姿を目の当たりにしたから思うんです。心から「ありがとうございます。」

岐阜県 一般(高校生以上)の部

現役で働いていた頃は何でも一人でできると思っていました。定年後を楽しみにしていたのです。しかし実際にその年齢になってみると体の故障も多く山登りはもとより庭いじりさえ思うようにできないのです。致し方なく、現在は庭の掃除や樹木の剪定などもお手伝いの方に来ていただいています。もちろん蜂の巣ができた時も業者の方に来ていただきました。草刈りも別の業者の方にしていただいています。私の生活が成り立つには1ヶ月に三、四人の業者の方に来ていただくということに気がつきました。田舎暮らしをエンジョイするつもりだったのに、皆さんのお手を煩わしていることになりますが、それでもお手伝いいただける方に感謝している毎日です。

三重県 一般(高校生以上)の部

いつも変わらない笑顔を
ありがとう

愛知県 一般(高校生以上)の部

我が家は、築23年の木造住宅。これまでリフォームをしたことがなく、外壁も屋根も酷く傷んでいました。2人の子どもが独立したのを機に、リフォームを決断。しかし、知り合いの業者はなく、何社か当たって、相性の合いそうな業者を選びました。
 7月中旬、リフォーム工事が始まりました。連日、猛暑が続く中、2人の塗装職人さんは、黙々と作業をしてくれる。熱中症に気をつけて、と何度も声をかけて、冷たいお茶を出す私に、とても涼しげな笑顔を返してくれる。仕事だから大丈夫、と言っては、また黙々と外壁塗装に取り組む2人。午前8時半から午後5時まで、暑さに負けることなく仕事をする。その姿は感動的でもありました。
 工事が終わった我が家は、ピカピカに生まれ変わった。これで、老後の住処は安心だねと妻と話し合いました。職人さんってスゴいと感心しきり。
 塗装職人のKさんとSさん、本当にありがとうございます!

愛知県 一般(高校生以上)の部

新型コロナで日本に緊急事態宣言が初めて出た頃、私は妊婦だった。初めて出産を控える中、不安なニュースの数々。夜中に発熱して「コロナか」と慌てて夜間診療に行くと破水だった。
10時間かかって息子は産まれた。
私は息子をすぐ抱けるとおもっていたが、彼は酸素カプセルのケースから出てこない。泣き声もか細い。モニターの前で小児科の先生達が話し合っていた。
数時間して息子はやっと私の側に。病室で3キロ程の息子を見て「こんな顔だったのか」と小さな手を握っていたら、小児科の先生が病室に来て「勤務時間大分すぎちゃったんだけど、やっぱり心配で来ました。NICUに連れて行きます」と息子を連れて行った。血液検査の数値が悪かった息子は念のためNICUに入院となった。息子は今よく喋り、元気に走り回る3歳になった。勤務時間を超えて診てくれた先生、私たち家族の幸せはあの時の先生の英断のお陰。ありがとうございました。

愛知県 一般(高校生以上)の部

僕のお母さんは、毎日遅くまで家事と仕事両方頑張っていますが、僕が勉強などをサボってしまうので、「早く勉強しなさい!」と、いつも言っています。それでも僕が勉強しない時は、勉強するまで僕の近くにいるので、その間に家事ができません。なので、お母さんはいつも「は〜今日も疲れた」と言っています。僕のお母さんは、仕事をしているから毎日昼過ぎまで家にいません。だけど、僕の送り迎えをしてくれます。僕が家に帰ったら、洗濯物を外から出したり、晩御飯を作っています。夜も、僕の寝かしつけ、勉強の丸つけや、洗濯物をたたんだり、お父さんのご飯などの片付けをしています。毎日大変なのに、家事と仕事両方頑張ってくれるお母さんが大好きです。いつもありがとう。

三重県 小学生の部

大学進学の為に引っ越してから半年。
新しい環境でいろんな事が初めてで、試行錯誤しながらなんとかやってきた。
そんな生活の中で気がついたことがある。
それは、両親がどれだけ大変でも毎日欠かさず仕事も家事もしてくれていたおかげで、私は今まで何不自由なく生活を送れていたということだ。
今までは食事が出て、洗濯や掃除がされ、毎月のお小遣いを貰う生活が当たり前だった。でも、それは決して当たり前なんかではない。その生活の裏には、両親の苦労や努力がある。
早番や遅番、夜勤など、毎日違う時間で勤務をする。私のバイトよりも長い時間働いて、毎日帰ったら何一つ文句言わずに家事をこなす。時間を作って旅行にも連れてってくれたし、私の学費やお小遣いの為に貯金だってしてくれていた。
そんな両親は本当に凄いと思うし、尊敬している。今度実家に帰ったら、面と向かって言うのは少し照れくさいが、「ありがとう」と伝えたい。

愛知県 一般(高校生以上)の部

子供の頃は、大人が働いて何も考えずに生活できているのが当たり前でしたが、自分が働くようになったら、働いてお金を得る事の大切さに気づきました。衣食住にかかる全てにおいて働く人の手が加わっているから生活していける。と考えさせられました。今はAIなども生活に貢献していますが、開発するのもメンテナンスするのも働く人の努力があってこそだと思います。当たり前の生活ができるのは、働く人がいなければできません。
お金を得なくても、主婦なども働く人です。
すべての働く人にありがとうと声を大きくして言いたいです。

三重県 一般(高校生以上)の部